映画『ブレット・トレイン』を観て、「なぜレモンはあれほど『きかんしゃトーマス』の話をするの?」「ディーゼルやパーシーにたとえる意味は?」と気になった人も多いのではないでしょうか。単なる変わったキャラクターを演出するためのギャグに見えますが、実はトーマスはレモンの人間観察の基準であり、物語後半の重要な伏線にもなっています。
しかも、この設定はハリウッド版で追加されたものではなく、伊坂幸太郎の原作『マリアビートル』から受け継がれたものです。この記事では、レモンと「きかんしゃトーマス」の関係、ディーゼルのシールが持つ意味、各キャラクターへのたとえ、原作者がこの設定を生み出した理由まで整理します。
ブレット・トレインでレモンが「きかんしゃトーマス」を語る意味

結論からいうと、レモンにとって「きかんしゃトーマス」は単なる好きなアニメではありません。人間の性格や善悪を見分けるための「人生の教科書」のような存在です。
レモンは出会った人物をトーマスの登場キャラクターに当てはめることで、その人が信用できるのか、危険人物なのかを判断します。一見すると子どもっぽい癖ですが、物語が進むにつれて、その判断力が意外なほど正確だったことがわかります。
レモンはトーマスから「人間について学んだ」と考えている
劇中のレモンは、現代の作品には暴力やドラマはあっても学ぶべきメッセージがない、という趣旨の話をし、自分は人間について大切なことを「きかんしゃトーマス」から学んだと語ります。
つまり彼は、トーマスを幼児向け作品として見ているのではありません。ソドー島に登場する機関車たちの性格や失敗、人間関係を現実社会の縮図として捉えています。
優しい人物、働き者、プライドの高い人物、単純な人物、他人をだます人物などをトーマスのキャラクターに分類し、「このタイプならこう行動する」と考えるわけです。
殺し屋という物騒な職業と、子ども向け作品を人生哲学にしているという組み合わせ自体はコメディですが、レモンのトーマス論は後半になるほど笑いだけでは済まない重要な意味を持ち始めます。
おかしな趣味ではなくレモンの優れた観察力を表している
レモンは粗っぽく、タンジェリンとの会話でもどこか子どもっぽく見える人物です。そのため、序盤では「トーマスが大好きな変わった殺し屋」という印象を受けやすくなっています。
ところが実際には、彼は相手の細かな言動をよく見ています。表面的な印象だけでなく、会話の不自然さや態度から人間性を判断しているのです。
レモンを演じたブライアン・タイリー・ヘンリーも、レモンはトーマスの特徴を使って、相手が信用できる人物なのか、それとも危険なのかを判断していると説明しています。
つまりトーマスは、レモンの頭の中にある「人物分類システム」と考えるとわかりやすいでしょう。
作品全体のテーマである「見た目と本質」の違いにもつながる
『ブレット・トレイン』には、外見から受ける印象と実際の人物像が大きく違うキャラクターが何人も登場します。穏やかそうなのに腕の立つ殺し屋、か弱そうに見えて他人を操る人物など、見た目だけでは本質を判断できません。
レモンの方法は極端ですが、「その人が何者に見えるか」より「実際にどう振る舞っているか」を重視しています。
特にプリンスとの対決では、この考え方が大きな意味を持ちます。多くの登場人物がプリンスの見た目や演技に惑わされるなか、レモンは最終的に彼女の本性を見抜きます。その判断を示す象徴が「ディーゼル」なのです。
レモンが人物をトーマスのキャラクターにたとえる理由

劇中ではレモンが何人かの人物を「きかんしゃトーマス」の仲間に分類しています。それぞれのたとえを見ると、単に好きなキャラクター名を言っているわけではなく、性格の特徴をかなり具体的に当てはめていることがわかります。
| トーマスのキャラクター | レモンが考える特徴 | 劇中での対応・意味 |
|---|---|---|
| ゴードン | 強く重要な存在だが、人の話を聞かないところがある | タンジェリン |
| パーシー | 若く、愛嬌がある一方で少し頼りない | ホワイト・デスの息子 |
| エドワード | 賢く親切 | 人物タイプの例として登場 |
| ヘンリー | 働き者で力強い | 人物タイプの例として登場 |
| ディーゼル | トラブルを起こす信用できない存在 | 最終的にプリンスの本性を示す |
タンジェリンは「ゴードン」
レモンは相棒のタンジェリンをゴードンに分類します。劇中で説明されるゴードン像は、強く重要な存在である一方、他人の話をきちんと聞かないところがあるというものです。
これはタンジェリンの性格によく合っています。タンジェリンは腕の立つ殺し屋で、レモンにとって非常に頼れる相棒です。しかし短気で、自分の判断に自信を持っているため、レモンの話を面倒そうに扱うこともあります。
現在の「きかんしゃトーマス」日本公式サイトでも、ゴードンは青い大きな機関車で、力持ちで仲間のまとめ役として紹介されています。映画ではそこに、昔から描かれてきた自信家らしさを重ねています。
レモンがタンジェリンを悪役ではなくゴードンに分類していることからも、口ではけんかをしながら彼を強く信頼していることが読み取れます。
ホワイト・デスの息子は「パーシー」
救出されたホワイト・デスの息子に対して、レモンはパーシーのようだと評します。映画では若くて愛嬌がある一方、どこか抜けている人物という意味合いで使われています。
「きかんしゃトーマス」日本公式サイトでは、パーシーは緑色の小さな機関車で、怖がりで自信がないものの、必要なときには勇気を出すキャラクターとして紹介されています。
映画がパーシーの設定を厳密に一対一で人物へ当てはめているわけではありません。レモン自身がトーマスの登場人物を自分なりに解釈し、「人間でいえばこのタイプ」と分類していると考えたほうが自然です。
最も重要なのが「ディーゼル」
レモンが最も警戒しているタイプがディーゼルです。劇中でも、ディーゼルのような人物はトラブルを起こす存在として扱われています。
「きかんしゃトーマス」の公式サイトでは、ディーゼルはプライドが高いキャラクターとして紹介されています。また過去シリーズには、意地悪やいたずらをする性格が描かれたエピソードもあります。
そのためレモンにとって「ディーゼル」は、単に性格が悪い人というだけではありません。自分の利益のために周囲をかき回し、信用すると危険な人物を示す警告マークになっています。
プリンスに貼られた「ディーゼル」のシールは重要な伏線

『ブレット・トレイン』でトーマスの設定が単なるギャグではないことを最もわかりやすく示しているのが、プリンスとディーゼルの関係です。
序盤から何度もディーゼルについて語らせているのは、後半でシールそのものを情報伝達に使うための準備にもなっています。
プリンスは「無害に見える危険人物」
プリンスは一見すると、殺し屋だらけの列車に巻き込まれた普通の少女のように見えます。しかし実際には、自分が弱く見えることを利用して相手を操り、複数の人物を計画の駒として使っています。
レモンも最初からすべてを見抜いているわけではありません。プリンスの説明に惑わされ、キムラを疑ってしまう場面があります。
それでも会話や持ち物の不自然さを積み重ねて考えた結果、レモンは「本当に危険なのはこちらだ」と気づきます。その瞬間、プリンスはレモンの分類における「ディーゼル」になります。
ディーゼルのシールがタンジェリンへのメッセージになる
レモンは意識を失う直前、プリンスにディーゼルのシールを貼ります。この行動は非常に重要です。
その後タンジェリンはプリンスに付いたシールを発見し、レモンが彼女を危険人物だと判断していたことを理解します。
つまりディーゼルのシールは、「こいつを信用するな」というレモンからタンジェリンへの警告になっているのです。
序盤では子どもっぽく見えたシール帳が、後半では命に関わるメッセージになります。この変化があるため、最初の長いトーマス談義にも物語上の役割があります。
レモンの人を見る目をタンジェリンも信じていた
この場面で注目したいのは、タンジェリンがトーマス好きかどうかではありません。普段はレモンのトーマス話をうっとうしそうに聞いていたタンジェリンが、そのシールの意味を真剣に受け取ることです。
タンジェリンはレモンの独特な考え方をからかっていても、「レモンには人間を見る目がある」という部分では信頼していたことがわかります。
そのためディーゼルのシールは、プリンスの正体を示すだけでなく、レモンとタンジェリンの絆を表現する小道具にもなっています。
単なる暗号なら別の方法でも成立します。それをトーマスのシールにしたことで、「他人には意味不明でも、この2人には伝わる」という相棒らしいコミュニケーションになっているのです。
レモンがトーマス好きなのは原作『マリアビートル』からの設定

「ハリウッド映画だから、列車つながりでトーマスを登場させたのでは?」と思うかもしれません。しかし、レモンのトーマス好きは映画オリジナルではありません。
『ブレット・トレイン』の原作である伊坂幸太郎の小説『マリアビートル』に、すでに「檸檬がきかんしゃトーマスを愛好している」という設定があります。
原作の「檸檬」も熱狂的なトーマス好き
映画ではレモンとタンジェリンという英語名ですが、原作では「檸檬」と「蜜柑」として登場します。2人は腕利きの殺し屋コンビです。
原作の檸檬も「きかんしゃトーマス」に詳しく、登場する機関車の性格を人間に当てはめて考えます。対する蜜柑には文学好きという特徴があり、2人は興味の方向も対照的です。
映画化では原作から多くの変更がありますが、檸檬のトーマス好きはキャラクターを特徴づける重要な要素として残されました。
映画.comなどの作品解説でも、レモンのトーマス好きは原作から引き継がれた設定であることが確認できます。
原作者がトーマスを選んだきっかけは意外に身近
この設定には「鉄道社会を象徴する壮大なメタファーが最初からあったのでは」と考えたくなりますが、原作者の説明はもっと身近なものです。
伊坂幸太郎は海外インタビューで、檸檬がトーマス好きになった理由について、『マリアビートル』を書いていたころに自身の息子が「きかんしゃトーマス」に夢中で、その影響で自分も詳しくなっていたという趣旨の説明をしています。
つまり、作者自身の生活の中にトーマスの知識があったことが、檸檬というキャラクター誕生の直接的なきっかけでした。
後から読めば非常に計算された象徴のように見えますが、創作の出発点は身近な経験だったわけです。そこから、人間をトーマスに分類する殺し屋という独特な人物像へ発展させたところに伊坂作品らしい面白さがあります。
映画版では「シール」によって視覚的にわかりやすくなった
小説では人物の考えを文章で詳しく描けますが、映画では同じ方法をそのまま使うと説明が多くなってしまいます。
そこで映画版ではトーマスのシールを繰り返し見せることで、レモンの分類を視覚的な記号として使っています。
「この人はゴードン」「あの人はパーシー」「危険なのはディーゼル」というルールを観客に覚えさせておき、後からシールだけを映して意味を伝える構造です。
原作の個性的な設定を残しながら、映画ならではの伏線へ変換した部分といえるでしょう。
なぜ殺し屋と「きかんしゃトーマス」の組み合わせが面白いのか

レモンのトーマス好きが強く印象に残る理由は、単に珍しい趣味だからではありません。作品そのものが持つブラックユーモアや、「凶悪な殺し屋にも人間らしい一面がある」というキャラクター造形とうまくかみ合っています。
残酷な世界と子ども向け作品のギャップが笑いになる
『ブレット・トレイン』には多数の殺し屋が登場し、銃撃や格闘、毒など物騒な出来事が次々と起こります。その真ん中でレモンが真剣な顔をして「トーマスならどう考えるか」を語ります。
この落差自体が作品のコメディになっています。
しかもレモンは冗談で言っているわけではありません。本人は本気でトーマスに価値があると信じているため、周囲との温度差がさらに大きくなります。
もしレモン自身も笑いながらトーマスをネタにしていれば、単発のジョークで終わっていたでしょう。本気で信じているからこそキャラクターとして成立しています。
レモンを単なる凶悪な殺し屋にしない役割がある
監督のデヴィッド・リーチは、『ブレット・トレイン』に登場する暴力的な人物たちを、観客が感情移入できる程度には人間的に見せることを重視していたとインタビューで語っています。
レモンとタンジェリンも多くの人間を倒してきた殺し屋ですが、2人の言い争いや互いへの信頼を見るうちに、単純な悪役には見えなくなってきます。
トーマス好きという設定は、とくにレモンの無邪気さを強調します。殺し屋としての恐ろしさと、シール帳を持ち歩くほどトーマスが好きという幼さが同居することで、一言では説明できない人物になります。
鉄道映画に鉄道アニメを持ち込む二重構造も楽しめる
原作段階でトーマスが登場する理由は原作者自身の身近な経験によるものであり、「新幹線の物語だからトーマスを入れた」と公式に説明されているわけではありません。
ただ、完成した作品として見ると、超高速列車の中で殺し屋が機関車アニメを人生哲学として語るという組み合わせは非常に相性が良く見えます。
特に映画版では列車そのものが物語の舞台であるため、観客は嫌でも「列車」と「トーマス」を結び付けます。結果として、原作から存在した個性的な設定が映画ではさらに強い印象を残すことになりました。
「トーマス=列車映画だから入れたパロディ」と考えるより、「原作からあるレモン独自の人生哲学が、列車を舞台にした映画でも効果的に機能した」と理解するほうが実際の成り立ちに近いです。
トーマスを知っているとブレット・トレインはどう見え方が変わる?

「きかんしゃトーマス」を詳しく知らなくても『ブレット・トレイン』のストーリー自体は理解できます。映画内でレモンが必要な特徴を説明してくれるからです。
ただし、それぞれのキャラクター像を知っていると、レモンがどのような基準で人物を見ているのかがわかりやすくなり、トーマス関連の場面が単なる小ネタではなくなります。
最低限「ディーゼル」だけ覚えておけば伏線は理解できる
全キャラクターの設定を覚える必要はありません。物語上、とくに重要なのはディーゼルです。
レモンの基準では、ディーゼルは「警戒すべき人物」です。そのためプリンスにディーゼルのシールが付いていることには明確な意味があります。
序盤でレモンがディーゼルについて語ったことを覚えていれば、タンジェリンがシールを見た瞬間、「レモンはプリンスを疑っていたのか」と理解できます。
逆にここを忘れていると、タンジェリンがなぜシール一枚を根拠に急に態度を変えたように見えるのか、少しわかりにくくなるかもしれません。
トーマスの分類は絶対的な性格診断ではない
注意したいのは、レモンの分類が「トーマス公式による人間の性格診断」ではないことです。
たとえば現在の公式紹介と映画内で語られる特徴にはニュアンスの違いがあります。シリーズは長く続いており、時代によってキャラクターの描き方にも変化があります。
映画で重要なのは、トーマスの設定を厳密に検証することではなく、レモン自身が各キャラクターをどう理解しているかです。
したがって「本来のパーシーはそんな性格ではない」「現在のディーゼルはもっと友好的では?」という違いがあっても、映画の伏線が成立しなくなるわけではありません。
2回目の鑑賞ではレモンの台詞とシールに注目すると面白い
初見では大量の人物と事件が高速で交差するため、レモンのトーマス話を「変な殺し屋のギャグ」として流してしまいやすい作品です。
しかし結末を知ったうえで見直すと、序盤からディーゼルという分類を説明していること、レモンが相手の性格を細かく観察していること、タンジェリンが文句を言いつつもレモンの考え方を理解していることが目につきます。
特にプリンスとの場面では、誰が本当の危険人物なのかという判断が二転三転します。その最後に残されるディーゼルのシールまで含めると、トーマス要素が一つの小さな伏線として最初から最後まで通っていることがわかります。
ブレット・トレインのレモンとトーマスの意味をまとめると
『ブレット・トレイン』でレモンが「きかんしゃトーマス」にこだわるのは、ただ笑わせるための設定ではありません。レモンはトーマスの登場キャラクターを人間の性格に当てはめ、誰を信用すべきか判断しています。
タンジェリンをゴードン、ホワイト・デスの息子をパーシーのようなタイプと考え、特に危険な人物を「ディーゼル」と分類します。そしてプリンスに残されたディーゼルのシールは、彼女の本性を見抜いたレモンからタンジェリンへの警告として機能します。
この設定は映画版で新たに作られたものではなく、伊坂幸太郎の原作『マリアビートル』から存在します。原作者によれば、執筆当時に息子が「きかんしゃトーマス」を好きだったため自身も詳しくなっていたことが、檸檬のキャラクターを作るきっかけになりました。
結局のところ、トーマスはレモンの「人を見る物差し」であり、ディーゼルのシールはその観察力とタンジェリンとの信頼関係を一枚で示す伏線です。この意味を知ってから見直すと、序盤では長いジョークに見えたトーマス談義が、後半へきちんとつながっていたことに気づけます。



